卒業アルバムを断捨離してみて

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2018/03/24 晴れ 卒業アルバムを全部捨てました。

数日前の燃えるごみの日は雨だったので出さずにいました。カラッと晴れた日の方がスッキリしそう捨ててしまうアルバムなのに濡れてしまうのもなんだか忍びないと感じたのです。

卒業アルバムを捨てようと思いつつ、いままで片付けずにいました。
理由は「こういうものは捨てないで取っておくものよ。」と母親に言われたからです。正確にはなんと言っていたのか覚えていません。せっかく作ったのだからもったいないと言っていたのかもしれません。

実は卒業式の翌日にもうアルバムを捨てていました。ですが、捨てるのはダメと言われたので拾いなおしたのです。それからずっと22年もの間ただの荷物となっていました。

引っ越すときも一緒。大きいのでしまう場所もない。そしてほとんど見ることもない。それが私の卒業アルバムでした。

学生時代には良い思い出が多い人や、あまり良くなかった人もいると思います。
わたしはあんまり良い思い出はありません。なのでアルバムを懐かしんで見ることはありません。取っておく必要もないのです。捨てたところで悲しいという気持ちもありません。アルバム自体に特別な思い入れがないといったほうがいいでしょう。

持っていても邪魔になるだけと思うなら、アルバムを捨てる前に一度見るぐらいで良いのではないでしょうか?見てもやはり何とも思わないのであれば捨ててしまって構わないのです。捨てて悲しいなら初めから捨てるという選択はしないと思いますよ。

アルバムを捨てることはいけないことではありません。悪いことだと思わないでください。捨てたって良いんです。心の重りになっちゃうぐらいなら。
嫌だった思い出は捨てないで取っておく必要はありませんからね。捨てることは悪いことではないのです。

もしかしたらアルバムは、年をとってから見てみるとちょっとは違って見えるのかもしれません。けれど、いまを楽しくして生きていきたいのであれば過去は手放して良いと思っています。いつまでも過去のことにとらわれている必要なんてないのです。

文集なども読み返してみても思い出すものはありません。文章が下手くそだとか、字が汚いとかそんなことばかりが目につきます。子供の時代だったのだなぁと思います。

当時の担任の先生の書かれた文章も載っていて、その昔に読んだときは自分達のことではないと思いました。書かれていた内容は、6年も昔に卒業した人たちのことだったからです。
卒業してから、自分の夢をかなえるために頑張っているという教え子や親のあとを継いで社長になった人。学生の時よりも成長して大人になっていたことに感慨深いものがあると綴られていました。

これは卒業して成長していく教え子たちの未来が楽しみという意味だったのでしょう。いま読みかえすとそのように思えました。

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