こんにちは。LANI(ラニ)です。
LANIはハワイ語で【天国や天使、王族のような】という素晴らしい意味があります。
あなたの人生は、どきどきワクワクしていますか?^^
過去のわたしはネガティブそのもの 心の葛藤
わたしはこれまでの人生で、自分というものの存在価値がわからずにいました。
なぜなら、こんな風に思っていたからです。
- 生まれたときから必要とされてなかったこと
- 周囲の人に合わせて生きてきたこと
- 誰にも褒められたことがなかったこと
- 勉強や運動が苦手で取り柄がないこと
- 自分のような人間はいないほうが良いと思っていたこと
生まれたときから必要とされてなかったこと
「あなたたちがいたから離婚できなかった」「あなたたちのために苦労した」などと言われると、生まれてきたわたしたちが悪いのかな?そう思ってしまいます。
なんだかいつも家族の中でも、愛されずにのけ者にされたように感じているのでした。
友達を作るといったことは積極的にはしませんでした。必要とされることも必要としてもいなかったからです。
誰にも褒められたことがなかったこと
わたしは勉強や運動が得意ではありません。絵を描くのは好きでしたし、裁縫もよくやりました。出来は良いと自分で思いましたが誰にも「上手だね。」とも褒められたことはありませんでした。
家事や掃除などが出来ても、当たり前のように思われてしまいます。
おとなしく作業をして、上手だったとしても、大人は見ていませんし褒めません。
どちらかというと、騒がしくて落ち着きのない子のほうが褒められていましたね。
機械のように正確に整えるようにしても、誰も見向きもしないのです。
わたし自身や、作ったものはは褒められたことは無いので、わたしには褒められるような価値も何もないという思いが形成されたように思います。
勉強や運動が苦手で取り柄がないこと
手先が器用だったとしても、学力が劣っているのは問題のようでした。
他に所作に問題がなく大人しかったとしても、問題のある子と見られていたか、または問題のない子として常に放っておかれたのです。
学力が劣っている子は、勝っている子に比べて信用度が低く、いじめの様な嫌がらせを受けても、誰にも理解されることも守る人もような人もいません。
そのような世界でした。
勉強や運動が苦手で取り柄がないというのは、信用されることも愛されることもないのだと子供心に知りました。
自分のような人間はいないほうが良いと思って、周囲の人に合わせて生きてきた部分が多く、自分の意見といったものは持ち合わせていませんでした。^^
わたしという不出来な出来損ないの人間の存在価値とは
自分が犠牲になって、誰かのために生きているなんて苦しい選択ですよね。
わたしは幼少期から、自分はいないように感じていました。
感情が無いようなまま、心に蓋をして生きていました。
そのため嬉しいことも楽しいことも分かりませんでした。
人がいても、安心することはありませんし、分かりませんでした。
幼少期から、家族・人間関係において、つらいと思うことは多かったものです。
幸せになれたらいいのに、幸せがどんなものか分かりませんでした。
親同士のDV・不誠実な行いによる暴言や第三者からの暴力、いじめによる人間不信など。
すべて愛のない心を閉ざす行為を目の当たりにして、苦しむことしか出来ませんでした。
一言で表すのなら”機能不全家族”が、ぴったり当てはまりました。
子供ながらに自分だけが不幸ではないと分かっていても、そうは思えませんでした。
だから普通の家庭に憧れました。
温かいご飯が出てきて、楽しく会話をして食べ終わる。
そんなことが当たり前で、普通だったらいいのにね。うちは全くそうではありません。
ご飯は温かくても、気持ちは冷めていました。
愛のない家庭とはそういうものかもしれません。
※夫婦喧嘩を含め、これらすべては虐待に当たると最近知りました。^^;
パートナーが出来たら幸せそう?いいえ、本当の意味で幸せではありません。
心の欠けや失った感覚が無くならない限り、幸せを感じません。
幸せってこんな感じなのかな?と思ってもすぐに抜けていってしまいます。
この状態では、幸せになれる相手に巡り合うことが難しいと感じるかも知れません。
「このまま人生終わるのかな」心なんてものは一生不安なものかもしれない。
希望もなく暗い気持ちを抱えていたのです。
わたしに存在する価値があるなんて、誰が信じるのでしょう?
いてもいなくても同じ。
自分に価値を感じたことはありませんでした。
陽の当たる場所それは…WEBの世界へ
2013年、望んでいた大きな時代の変化の波がやってきました。
インターネットの発展、すばらしき世界!
いま思えばここがターニングポイントでした。
携帯電話の時代からもSNSはありましたが、より広がったインターネットの世界では、心の内を表現でき、なおかつ収入にもつなげられたのです!
WEBマーケティングの知識は、それほど難しくないです。
なぜなら、より簡単なものへ変化しているからです。
表立った世界では、何の役にも立たない必要とされない人間にも、活躍の場やチャンスが巡ってきたのです。
価値のない人間でいても、陽の当たる場所とは、WEBの世界なのです。
WEBを通じて世界は変わり始めたと思いませんか?
WEBマーケティングでは、人の悩みの掘り下げを行い、的確にアドバイスするページ作りを心掛けています。
これを読めば、これに対応できるというような、内容を作り上げることが大事です。
悩みを持たない人は、どこにもいません。
まれに何でも自分で解決したという人がいるかもしれませんが、誰かの協力を得ているはずです。
そんなWEBサイトは、人の役にも立ちますし、作った人の力にもなります。
人生の転換期は、いつも突然のように訪れる
自分の人生を変えたい一心で、とある交流会に参加しマーケティングを習いました。
それと同時期に、ヒーリングにも深く興味を持ちました。
ヒーリングを学ぶことで、知らなかったことを学び、自身の生活や心の変化に喜びを感じました。人生に楽しさや面白みが出たものです。
最初に学んだ氣エネルギーの講座の受講生の中で
「この二人は手強いボスか、ラスボスレベル」と言われました。
二人とも自分のことを信じていないし、人に心を開かない感じです。^^;
癒しを学んでも心を開かないなんて、確かに手ごわいかもしれません。
ヒーリングは受け取るために、心を開くことも大事なのです。
シータヒーリングを習ってからは、ひたすらハートの浄化やセッションを行い、自分の価値観(ものさし)で物事を考え、人から植え付けられた思考を排除しました。
しかし、望んでいない気づきもありました。
例えば、
- 頑張っても、疲弊するだけ
- 父の死後もまとまらない家族、最後まで円満な家庭にならなかったこと
- 結婚後二回の流産。自分の価値はさらに下がった
- まだまだ幸せではないと感じることが多々ある
また、わたし自身がガンになりました。
全身をくまなく巡っているリンパ腺が、ガンを作り出したのです。
【悪性リンパ腫】
これって、幸せになることもなく死んじゃうのかな?まぁ簡単には死なないけど。
「どうする?悪性だって。」軽く笑って、受け止めました。^^
対して不幸な話じゃないよなぁ。
このタイプのガンは、愛情の不足から起こるそうなのです。
まだまだ自分を許してないし、愛してもいないし、癒しきれていないのね。
ふと思ったのは、心をを閉ざしていること。
心の壁はまだ厚いの?なくなっていないのかな。
例えば、「わたしには価値がなくて、つまらない人間で、言ってることも正しくない。わたしが自分の考えを持つことはバカバカしく愚かである。その証明をなさい。」
このような自分に対する無価値観は、いつ覚えてしまったのでしょうか?
前述したように、じわりじわりと幼少期から刷り込まれたものです。
これは、自分の価値を引き下げ不幸にします。誰も幸せにはなれません。
また愚かしさの証明を行うことで、自分をさらに価値のないものにしてしまうのです。
この役にたたない思考パターンを手放したとき、わたしの人生が再び始まりました。
始まりは何回あっても良いものですよね。
転換期と言われるように、生まれ変わるという瞬間が、たびたび訪れるようなものです。
心を癒すと、ハートチャクラが開きはじめます。
ハートチャクラを開いていくと、新しいエナジーが湧いてきます。
これは、夏休みが始まるような、恋心のようなくすぐったいようなそわそわした感じをもたらすかもしれません。
実際に、ハートチャクラに働きかけると、恋をしたときの感覚に近い感じがします。
ドキドキする気持ちが、溢れ出てくるような感覚です。
もし、これがあなたにも起こったら、毎日がわくわくして仕方がないようになるでしょう。
霊性を磨くことや、チャクラを開くことで人生が好転していくのは間違いないでしょう。
人生の目標の立て方や、行動の起こし方をこちらのブログにまとめています。
何かしら役に立つことがあれば喜ばしい限りです。